◆ 第17回企業フィランソロピー大賞受賞企業インタビューⅡ
東日本大震災で失われた命への思いから始まった防災プロジェクト
北良株式会社 代表取締役社長
笠井 健 さん
「もっと救えたのでは?」との思い
― 笠井さんは、岩手県で家庭用、産業用、医療用のガス製造・輸送・販売と、関連サービスを手がける「北良株式会社」の三代目です。大学卒業後、東京でIT企業の技術者をされてから北上市に戻り、2011年に東日本大震災が起きたのですね。
笠井 健さん(以下敬称略) いくつかの地震を教訓に防災の準備はしていましたが、あれほどの規模の災害は想定外でした。社員たちは、1か月間休まずに頑張ってくれました。命をつなぐ酸素ボンベを届けたり、被災した患者さんの行方を捜したり、人事は尽くしたと思います。その一方で、もっと多くの人を助けることが出来たのではと思うようになりました。兄は呼吸器医ですが、警察の手伝いでたくさんのご遺体を検視していましたし、わたしも、支援に行った先の遺体安置所での光景が頭から離れません。
― その思いが、このプロジェクトの原動力なのですね。
笠井 親しくしている方で、釜石市に住む鈴木堅一さんという方がいらっしゃいます。今でも仮設住宅にお住まいで、玄関には、お孫さんのオレンジ色のランドセルが、帰りを待つように掛かっています。
釜石は「釜石の奇跡※」で有名ですが、数人助からなかったお子さんがいました。その一人が鈴木さんのお孫さんでした。そのお父さん、お母さんとおばあちゃんが、一緒に自宅で津波にのまれました。その鈴木さんに、東京で開催された危機管理カンファレンスで、申し訳ないなと思いながらも話をしていただきましたが、一人で四名の遺体を火葬するくだりでは、聴講されていた企業の防災担当や、災害を経験していない多くの方も自分事のように感じられたのか、涙を流しながら聞き入っていらっしゃいました。
釜石は「釜石の奇跡※」で有名ですが、数人助からなかったお子さんがいました。その一人が鈴木さんのお孫さんでした。そのお父さん、お母さんとおばあちゃんが、一緒に自宅で津波にのまれました。その鈴木さんに、東京で開催された危機管理カンファレンスで、申し訳ないなと思いながらも話をしていただきましたが、一人で四名の遺体を火葬するくだりでは、聴講されていた企業の防災担当や、災害を経験していない多くの方も自分事のように感じられたのか、涙を流しながら聞き入っていらっしゃいました。
【釜石の奇跡】東日本大震災で、岩手県釜石市の3,000人近い小中学生のほぼ全員が避難した。同市では1,000人以上が亡くなったが、学齢期の子どもの犠牲は5人のみで、「釜石の奇跡」といわれている。
― …言葉を失いますね。
笠井 ルールや制度も大事ですが、防災がなぜ大事なのかについて、その心を伝えてほしかったのです。わたしの机には鈴木さんの新聞記事が貼ってあり、防災に取り組む意味を、日々教えてもらっています。1万6千人近い方が亡くなり、その一人ひとりに家族や友人との日常があったことを知ることで、命の重さと備えることの必要性を感じるようになります。災害で命を落とす人を一人でも減らしたいという気持ちからプロジェクトを始めました。
被災地支援から進む技術開発と企業連携
― そして2014年にメガソーラーを建設し、発電事業の収益から防災力向上のために取り組む「医療と防災のヒトづくり×モノづくり」プロジェクトをスタートなさいました。
笠井 プロジェクトの第一号は、工業用・医療用酸素ボンベを在宅用に転用できるアダプター。さらに、離れた場所でも長時間、酸素供給と吸引の手段を提供できる災害用酸素供給装置を開発しました。
― 2016年の熊本地震では、開発した災害対策車で出動なさったと。
笠井 はい。3,000キロメートルを無給油で走る「リアルハイブリッド プリウスAD」です。電気とガソリンとLPガスで長距離走行でき、ガソリンが手に入らない地域でも走ることができます。
「東日本大震災で全国から支援を受けたので、もし西日本で災害が発生したら、恩返しに行くためにつくりました」と発表した翌年に、熊本地震が起きました。そのときは、岩手県の要請で、岩手医科大学の医師や県立病院の医療従事者で構成され る、いわて感染制御チーム(ICAT)感染防止チームと一緒に機材を積み、熊本へ向かいました。
「東日本大震災で全国から支援を受けたので、もし西日本で災害が発生したら、恩返しに行くためにつくりました」と発表した翌年に、熊本地震が起きました。そのときは、岩手県の要請で、岩手医科大学の医師や県立病院の医療従事者で構成され る、いわて感染制御チーム(ICAT)感染防止チームと一緒に機材を積み、熊本へ向かいました。
― その支援をきっかけに、新しい開発にも取り組まれたそうですが?
笠井 熊本は水がきれいで豊富なところですが、地震の影響で水道が使えず、バケツのため水で手洗いをする避難所があり、実際にノロウイルスなどの感染症が発生しました。この経験から、災害時にきれいな水を維持できないかという宿題ができ、東京のWOTA(ウォータ)株式会社というベンチャー企業とつながったのです。
そこは、水をリサイクルするシステムで、世界の水問題を解決することを目指していた企業。当初はアウトドア用の装置を目指して開発途中でした。しかし、互いに議論する中で、断水時でも衛生的な水を常に使える環境が重要であるという意見で一致し、災害用途での製品化に向けて一緒に取り組むことになりました。
そこは、水をリサイクルするシステムで、世界の水問題を解決することを目指していた企業。当初はアウトドア用の装置を目指して開発途中でした。しかし、互いに議論する中で、断水時でも衛生的な水を常に使える環境が重要であるという意見で一致し、災害用途での製品化に向けて一緒に取り組むことになりました。
― 即、実行なのですね! その結果、どのような支援ができたのですか?
笠井さんの運転により20時間で走行した。
この経験でさらに開発が進み、2019年には製品版ができました。台風15号では、WOTAさんと一緒に千葉県富津市や多古町に行き、発電機による給電と給湯器ユニットでお湯をつくって、シャワーを提供。台風19号の長野県内豪雨災害でも累計4,000人にシャワーを提供することができました。
この製品は、既に意識の高い自治体や企業が採用してくれていて、今後、入浴や手洗いなどの衛生状態の改善には、自衛隊だけでなく、各自治体や地域、企業などの単位で、災害支援をすることができるようになるでしょう。
― 被災地での経験がモノづくりに活かされ、課題解決へのあくなき努力で、結果として、ビジネスにもつながった。まさに、思いの熱量と、知見・経験で、他社もどんどん巻き込んでいった感じですね。
笠井 企業連携は、普通、マーケットや商品開発が前提ですが、わたしたちは、目の前の課題解決を先にやる。水や電気のこと、高層階や水害地域など実際に被災地に支援に行って、被災者から直接声を聞くことで課題を感じ、それを次の宿題にする。
そのたびに工夫を重ねて今に至っていますが、自社の技術や人材では成しえないことが、他の企業や技術者、医師や大学の研究者たちと力を合わせれば、案外とできてしまいます。何を知っているかも大事ですが、「解決策を持っている」人を知っているかは、もっと大事なのです。
そのたびに工夫を重ねて今に至っていますが、自社の技術や人材では成しえないことが、他の企業や技術者、医師や大学の研究者たちと力を合わせれば、案外とできてしまいます。何を知っているかも大事ですが、「解決策を持っている」人を知っているかは、もっと大事なのです。
― 笠井さんご自身が開発されたものもあるとか?
笠井 人工呼吸器や酸素濃縮器を使う患者さんの、自宅の停電状況を、ほぼリアルタイムで把握する安否確認システム「ANPY(アンピィ)」です。
電力会社では分からない各戸の隠れ停電も判別でき、それを持って避難すると、患者さんの位置情報をクラウドに記録し続けることで、支援先を早期に把握することが可能になります。東日本大震災で、広域搬送や想定外の避難先に在宅患者さんが 移動した経験から、停電や電源を復帰し、更に避難先を把握するといった開発に取り組みました。
電力会社では分からない各戸の隠れ停電も判別でき、それを持って避難すると、患者さんの位置情報をクラウドに記録し続けることで、支援先を早期に把握することが可能になります。東日本大震災で、広域搬送や想定外の避難先に在宅患者さんが 移動した経験から、停電や電源を復帰し、更に避難先を把握するといった開発に取り組みました。
― 防災では、こうしたITやバイオ技術が大いに役立ちそうですね。
笠井 これからは人口が大変な勢いで減っていくので、特に、社会貢献的な活動や福祉では、ITやバイオなどのテクノロジーを投入するほかありません。
問題は人間の感じ方。わたしたちは、先鞭をつけ、テクノロジーと人間の感覚の隙間を埋める役割があると思い、災害の現場で役立てることで、実績を積み上げています。
問題は人間の感じ方。わたしたちは、先鞭をつけ、テクノロジーと人間の感覚の隙間を埋める役割があると思い、災害の現場で役立てることで、実績を積み上げています。
命を第一に考える人づくり
― 笠井さんは、防災のモノづくりとともに「ヒトづくり」も大切にしていらっしゃいます。現在、社員は66名だそうですが、毎月1回、防災設備・機器の整備状況を点検確認し、社内の整理整頓も、詳細にチェックなさっているとか。
10回以内に起動しないとボーナスが減る。
必要なときにオイルや燃料が足りず、発電機がかからないこともありますから、点検は欠かせません。「徹底する」「本気で取り組む」ということは、他人が見たら、ここまでやるのかと驚かれるくらいでないと、口先だけの取り組みで終わります。以来、女性でもきちんと起動できるようになりました。命より大事なお金がかかっていますからね(笑)。
― 「災害で命を落とす人を一人も出したくない」という思いがあればこそ(笑)。こうした理念の共有は、どうされているのですか?
笠井 わたしたちは、実際の仕事で、呼吸器や神経難病の患者さんに接しています。普通だとクレームを避け、頼まれたこと以外はしないものですが、例えば、クリスマスには、子どもの患者さんに酸素ボンベを届けるときに、サンタの恰好で、ボンベに子どもが好きなキャラクターを付けて手渡すこともあります。
そのときの患者さんやお母さんの反応で、社員も変わってきます。経営者の言葉では伝えられないものがあります。お客さんと直に接して、その悩みを解決して感謝される経験が、社員の糧になっています。
そのときの患者さんやお母さんの反応で、社員も変わってきます。経営者の言葉では伝えられないものがあります。お客さんと直に接して、その悩みを解決して感謝される経験が、社員の糧になっています。
― 社会貢献のモチベーションの高い人が集まりそうですね?
笠井 モチベーションが高いのは良いことですが、それに頼っていてはダメです。非常時に、自治体や企業との調整や交渉をするには、冷静さと覚悟も必要です。災害時は、ルールを超えてやらないといけないことがあります。だれが責任を取るかというときに、大きな会社だと難しくても、わたしたちは中小企業ですから、人の命が助かるのなら、多少のコンプライアンス違反には目をつぶることができます。もちろん普段はきちんと守りますよ(笑)。
誰かが助かって、罰金や禁固刑程度なら、まあいいんじゃないのという感じです。命よりもコンプライアンスの方が大事なんじゃないかという企業を見るようになってきたので、もっと素直に考えて良いのではないかと感じています。
誰かが助かって、罰金や禁固刑程度なら、まあいいんじゃないのという感じです。命よりもコンプライアンスの方が大事なんじゃないかという企業を見るようになってきたので、もっと素直に考えて良いのではないかと感じています。
生きがいを創る会社に
― 本業も順調だそうですが、いまはどのような取り組みを?
動画の制作など高度な操作を習得した人もいる。
― 笠井さんが何人もいりますね(笑)。さらに、重度の障がいのある人の社会参加への取り組みも推進していらっしゃるそうですが。
笠井 はい。神経難病などで、肢体不自由でも、目の動きでPCを操作する視線入力装置を使える子が増えてきています。島根大学の伊藤史人先生が熱心に取り組まれていて、PCでの文字入力や、Facebook などの SNS で、コミュニケーションできる子どもたちが育ってきており、課題はあるものの、障がいのある子どもたちの可能性を広げつつあります。
また、こうした子どもたちが活躍できる場を作ろうとしています。先日も、視線入力で入力した文字を機械音声に変えることで、地元のFM局に協力してもらい、ラジオ番組を収録するトライアルをしました。Excel や動画編集といったスキルを持った子たちもいますよ。
また、こうした子どもたちが活躍できる場を作ろうとしています。先日も、視線入力で入力した文字を機械音声に変えることで、地元のFM局に協力してもらい、ラジオ番組を収録するトライアルをしました。Excel や動画編集といったスキルを持った子たちもいますよ。
― そんなに可能性があるのに、わたしたちが限界を作っていますね。
笠井 これは、実は防災にも関係します。障がいがあっても、助けられる側から助ける側になることができるかもしれない。その子たちが、気象予報士などの資格を取り、健常者に対して、避難指示ができるような世の中の実現は、意外と近いのではと思っています。
わたしたちが運ぶ酸素によって、患者さんは仕事に復帰したり、日常に戻ることができます。でも、本当に欲しいのは、医薬品や医療機械ではなく「生きがい」です。
これからの時代は、生きるために必要な酸素とともに、生きがいも一緒に創ることができるような会社が必要になるのではと思います。そういう会社には、人材が集まってくるし、優秀な技術者も集まってきます。これからも、モノを動かすエネルギーだけでなく、人の心を動かすエネルギーを提供する会社でありたいと思っています。
わたしたちが運ぶ酸素によって、患者さんは仕事に復帰したり、日常に戻ることができます。でも、本当に欲しいのは、医薬品や医療機械ではなく「生きがい」です。
これからの時代は、生きるために必要な酸素とともに、生きがいも一緒に創ることができるような会社が必要になるのではと思います。そういう会社には、人材が集まってくるし、優秀な技術者も集まってきます。これからも、モノを動かすエネルギーだけでなく、人の心を動かすエネルギーを提供する会社でありたいと思っています。
【インタビュー】
公益社団法人日本フィランソロピー協会
理事長 高橋陽子
(2019年12月23日 当協会にて)
公益社団法人日本フィランソロピー協会
理事長 高橋陽子