選考委員による書類選考およびヒアリング(訪問面談)を経て、次のとおり贈呈先が決定いたしました。今回も、青少年部門は、『
青少年フィランソロピスト賞』 (後援:文部科学省) として実施しております。
贈呈式 は、2016年12月13日(火)に 学士会館(東京都千代田区)にて開催いたしました。
◆一般部門
< まちかどのフィランソロピスト賞 >
たなか_たかし
田中 孝 様 (東京都八王子市)
田中孝さんは、1945年生まれ。ステンレスミニロープ専門メーカー「トヨフレックス」の創業者。
中国・天津で生まれ、引き揚げ後は、優しく厳しい両親のもと、二人の妹と東京都昭島市で育つ。生活は苦しかったが、「世の中の役に立つ人になりなさい。たくさん本を読みなさい」という両親の教えを守り、学業成績は優秀であった。高校卒業後は大学進学を願うも、家計を助けるために就職。教師を目指して入学した夜間大学も仕事との両立は厳しく断念せざるを得なかった。自身の境遇に対する「やるせなさ」を抱えながら、「営業は学歴に左右されない実績で認められる世界」と、旧トヨタ自動車販売に営業職として入社。3か月後にはトップセールスを達成。自動車免許も持っていない自分が採用され活躍の場を得ることができたのは、販売の神様と言われた故・神谷正太郎さんが掲げる“顧客本位”の営業精神のおかげと感謝の気持ちを持ち続けた。
27歳の時にステンレスミニロープを扱う会社を立ち上げ独立。これからという矢先に痛風の診断を受ける。一生治らない病と落胆したが、負けるものかと奮起した。創業以来40年間、赤字決算は一度もない。2013年、交流のあった朝日インテックに全株式を売却。二人の子どもも「それぞれの人生がある」と後継者にしなかった。売却益は一切、私することなく社会還元すると決め、立教学院へ返還不要の大学奨学金として2億円、母校がある昭島市へ1億円を寄付。地域社会のため、そして未来を担う若者の教育のため、持っているものを役立てたいとの思いがある。この間、立教学院の理事長が交代し、神谷正太郎さんのご子息が就任するという偶然も重なった。
田中さんは「人に感謝されることを一生懸命にしてきた人生」と振り返り、寄付は「生きた証」という。現役時代も、工場のあるフィリピン・セブ市の医療センターや高校に、10年以上にわたり、科学実験器具の提供や大学進学の援助をしてきた。
逆境を力に替え、一途なまでに世のため、人のためにと行動する姿は、ともすれば自分本位になりがちな現代社会の風潮に一石を投じるものである。その強い意志と深い愛情に敬意を表し「まちかどのフィランソロピスト賞」を贈るものである。
< まちかどのフィランソロピスト賞 >
やまうち_だいさく
山内 大作 様 (静岡市駿河区)
山内大作さんは、1975年生まれの競輪選手。ひとり親家庭で、母や親戚からの愛情を受けて育つ。実家が競輪場に近く、子どものころに祖父に観戦に連れて行ってもらったのが競輪との最初の出会い。高校1年の時に、有名選手を見に行ったのがきっかけで競輪選手を目指すことなった。
一方、山内さんは胃の先天性疾患で生まれてすぐに治療を受け、入退院を繰り返した。その病状は「人並みの生活ができるようになるのは奇跡」と言われるほど深刻なものだった。
ご自身が結婚し子どもを授かったことで親の気持ちが痛いほど分かるようになった。「子どもが幸せなら周りも幸せ」との思いと、「当時の医師や看護師さんのおかげで競輪選手になれた」との恩返しの気持ちを込めて、2013年に小児医療を専門とする「静岡県立こども病院」に1,000万円を寄付。その1年後からは毎月10万円を病院に直接届け、寄付総額は1,200万円にのぼる。山内さんからの寄付金を基に、同病院の前庭に屋外大型遊具を設置した「ぽっぽ広場」が完成。また、外来待合室には大型の「からくり時計」が設置された。
山内さんの夢は「学校の先生」になること。自分の体験を伝え、子どもたちが人生を考える上での役に立てたらと考えている。「子どもの笑顔を見るのが一番の幸せ」と、毎月病院に自ら足を運んで寄付をと届ける山内さんの温かな愛情とたゆまぬ努力に心からの敬意を表し、「まちかどのフィランソロピスト賞」を贈呈するものである。
< 特別賞 >
たいら_あきひろ
平 明広 様 (北海道帯広市)
平 明広さんは、1976年生まれ。大学在学中の1997年、21歳の時に、スノーボードの事故による頸椎損傷で、首から下が動かない寝たきりの状態となった。平さんは製本職人だった祖父の影響で、小さい時から絵を描くことが好きだった。6歳で父を失ったが絵は心の支えだったという。
寝たきりになったあとも、病院のベッドの上で頭部の動きだけで操作できるパソコンで絵を描き始め、2009年からはインターネットのTシャツ販売サイトHoimi(ホイミ)のデザイナー「flatman」として活躍している。
入院から10年が過ぎ、「病院を出て生活したい」と落ち込んでいた時に東日本大震災が起きた。自分は現地に直接支援に行けないが、Tシャツの売り上げを寄付することで役に立てると、復興支援Tシャツ「HOPE」を完成させ、販売会社と協力して震災後五年間で約30万円を日本赤十字社に寄付してきた。「震災を忘れてはいけないし、まだ終わったことでもない」とTシャツ販売の売り上げを寄付し続ける。
現在は、ヘルパーなどの支援を得ながら一人暮らしをしている。わずかに残された運動機能を最大限に生かした平さんの活動は、社会においては、誰もが支え合って生きていることを体現するものであり、大いなる気づきと勇気を与えてくれる。その広がりに期待を込め、「特別賞」を贈呈したい。
日本の寄付文化醸成をめざす
「社会の役に立ちたい」という思いや「こういう社会を作りたい」という理想を持って寄付を行なう人は少なくありません。このような寄付活動はフィランソロピーと呼ばれ、米国ではたいへん盛んですが、日本では寄付に対する評価はまだまだ低く、寄付をした人も「陰徳」こそが好ましいといった価値観に支配されやすく、その実態はよく分かっておりません。
こうした中で、当協会では、さまざまな思いやエピソードを秘めた寄付を広く紹介し、日本に寄付の文化が育つことを願って、1998年(平成10年)に本賞を創設しました。
2005年(平成17年)からは、少年期・青年期における体験や経験を通じて、次代を担う若者の寄付活動を推奨し、豊かな心の育成と、社会参加が広がっていくことを願い、<青少年部門>を設けました。
なお、青少年部門は2010年より文部科学省の後援を受けて 『青少年フィランソロピスト賞』 として拡充実施しております。